いろいろと
2002年1月26日何故今自分が早紀ちゃんのサイトを開設しているのかについてまず考えてみる。
インスピレーション
という言葉が一番当てはまる・・・のかな?正直に言いますと当時自分はモーニング娘。の大ファンでありまして、Webサイトを開設するまでのファンでありました。しかし、モーニング娘。の楽曲が好きだったのでありまして、そのアイドル性が好きだったと言うわけでもないのですよええ。
この好きな楽曲について言わせてもらいますと、モーニング娘。で言うと「ふるさと」まで、タンポポでいうと「聖なる鐘がひびく夜」まで。ハーモニーが綺麗で単純にその曲自体が好きだったのであります。しかし、ここ2年くらいはずっと、ユニゾンのテンポのいい曲。ハーモニーが好きな自分としては納得がいきません。それでも2002年の2月まではファンでした。一応。
そんな2001年の2月4日のASAYAN。TVに映し出された一人の少女を見た瞬間、何かを感じました。歌は正直言って上手くない。しかし、目の放つパワー、耳に残る声、何度でも挑戦する向上心。この歌手として大事な3要素はちゃんと満たしている。「これは・・・」と思った自分はあっという間に椛田早紀と言う19歳の少女にくぎ付けになったわけでございます。
しかし、インターネットと言うのは怖いものでして、すぐに過去が調べられちゃうんですよねぇ・・・。で、某ちゃんねるやら色んなところで「ヤラセ」だの「コネ」だの(苦笑)。おいらのサイトのプロフィールを見ればわかりますが、確かにsmAshに所属してたり、映画に出たことありますよ。けど、smAshはあくまでデビューを後押しするプロジェクトだったし、自然消滅。映画に至っては九州で「撮った」だけ。全国公開はおろか、九州でも公開されたところは少なく、あんまり意味はない。
そこいら辺をちゃんと調べた自分は「これはヤラセなんかではない。」と確信したわけです。そしてその次の週の2月11日。ASAYANでのスタジオ歌審査。意気込みを自宅にて語る早紀ちゃん。涙を流しながら「もう悔しい思いはしたくない」と決意表明。
それを見ていた自分は「何かできないものか」と考えました。で、出た結論。
「応援サイトを作ろう。」
自分はデビューできるかもわからない間から2月19日に応援サイトを開設したわけです。
その後については・・・また後日。
28日、29日はテスト・・・ちょいと日記を書くのは控えます。
インスピレーション
という言葉が一番当てはまる・・・のかな?正直に言いますと当時自分はモーニング娘。の大ファンでありまして、Webサイトを開設するまでのファンでありました。しかし、モーニング娘。の楽曲が好きだったのでありまして、そのアイドル性が好きだったと言うわけでもないのですよええ。
この好きな楽曲について言わせてもらいますと、モーニング娘。で言うと「ふるさと」まで、タンポポでいうと「聖なる鐘がひびく夜」まで。ハーモニーが綺麗で単純にその曲自体が好きだったのであります。しかし、ここ2年くらいはずっと、ユニゾンのテンポのいい曲。ハーモニーが好きな自分としては納得がいきません。それでも2002年の2月まではファンでした。一応。
そんな2001年の2月4日のASAYAN。TVに映し出された一人の少女を見た瞬間、何かを感じました。歌は正直言って上手くない。しかし、目の放つパワー、耳に残る声、何度でも挑戦する向上心。この歌手として大事な3要素はちゃんと満たしている。「これは・・・」と思った自分はあっという間に椛田早紀と言う19歳の少女にくぎ付けになったわけでございます。
しかし、インターネットと言うのは怖いものでして、すぐに過去が調べられちゃうんですよねぇ・・・。で、某ちゃんねるやら色んなところで「ヤラセ」だの「コネ」だの(苦笑)。おいらのサイトのプロフィールを見ればわかりますが、確かにsmAshに所属してたり、映画に出たことありますよ。けど、smAshはあくまでデビューを後押しするプロジェクトだったし、自然消滅。映画に至っては九州で「撮った」だけ。全国公開はおろか、九州でも公開されたところは少なく、あんまり意味はない。
そこいら辺をちゃんと調べた自分は「これはヤラセなんかではない。」と確信したわけです。そしてその次の週の2月11日。ASAYANでのスタジオ歌審査。意気込みを自宅にて語る早紀ちゃん。涙を流しながら「もう悔しい思いはしたくない」と決意表明。
それを見ていた自分は「何かできないものか」と考えました。で、出た結論。
「応援サイトを作ろう。」
自分はデビューできるかもわからない間から2月19日に応援サイトを開設したわけです。
その後については・・・また後日。
28日、29日はテスト・・・ちょいと日記を書くのは控えます。
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